日本医師会は、会館や施設や資料を消失し、会員は、戦死や未帰還や疎開等によって消息が確認出来ない、連絡ネットも不完全である等々、戦後の大混乱に見舞われたが、その中から態勢を整え、眞っ先に医師会の再建に取り組んだ。
日本医療団総裁兼日本医師会々長稲田竜吉氏の辞任により、昭和21年2月1日、中山寿彦会長以下新役員を選出し、9月18日、「日本医師会改組審議会」を発足させた。改組審議会は「医師会改組要綱」を作成し、占領軍GHQ(GENERAL HEADQUARTERS)の意見を質しながら改組作業を進めた。審議会は、医師会の法的位置付けについて、医師会が本来の使命を遂行し、学術専門団体としての権威を保持するために、特殊法人とすることを求めたが、GHQの同意が得られず、「医師会は社団法人」を前提とする設立要綱や会則や設立の手続き要領等を作製してその任務を終了した。
新制医師会設立要綱(抜粋)
一 |
新生医師会は、医師の自由な意志と自覚によって設立されるものである。 |
一 |
新制医師会は、医道の昂揚、医学医術の発達普及と公衆衛生の向上とを図り、社会福祉を増進するを以て目的とする。 |
一 |
新制医師会は、社団法人とする。 |
一 |
新制医師会は、日本医師会、都道府県医師会、郡市区医師会の三種とする。 |
一 |
郡市区医師会の会員は、同時に都道府県医師会及び日本医師会の会員とする。 |
一 |
郡市区医師会、都道府県医師会、日本医師会は凡て、連合体の形の下に運営されるものとする。 |
一 |
凡ての医師会員は同時に日本医学会員たるものとする。 |
以上は新制医師会設立要綱の一部である。
そして、要綱の他、設立の手続き、会則案等を都道府県医師会に提示して、全国の医師会が歩調を合せて新制医師会を設立するように、昭和22年8月13日、日本医師会に「設立準備委員会」(委員長 榊原亨以下7名)を設けた。
ところがいよいよ着手の時になって突然、8月29日、中山日医会長ら13名がGHQから呼び出され、戦争協力者に対する公職追放を医師会役員にも適用するという通告を受けた。公職追放が、まさか医師会に及ぶとは誰も思っていなかったので、大へんショックを受けたが、設立準備委員会・榊原委員長名を以て「昭和17年国民医療法施行後、昭和22年までの日本医師会の会則上の役員、及び都道府県医師会の支部長(副支部長以下は非該当)は、新制医師会の役員たることを自発的に辞退すべきこと」という要望を都道府県医師会に伝え、全医師会がそれをうけ容れ夫々、新制医師会設立に向って作業を進めた。
斯くして昭和22年11月1日、新制「社団法人、日本医師会」が、戦後の民主国家の黎明の中に生れ出たのである。
新制日本医師会初代役員 (会員数 54,767名)
会 長 |
高橋 明 |
(学会) |
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副会長 |
井関 健夫 |
(大阪) |
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河北真太郎 |
(東京) |
理 事 |
大里 俊吾 |
(仙台) |
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熊谷千代丸 |
(東京) |
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古畑 積善 |
(東京) |
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佐々 貫之 |
(東京) |
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竹内 一 |
(東京) |
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吉村 良雄 |
(岐阜) |
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藤沢 幹二 |
(九州) |
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岡 治道 |
(学会) |
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東龍 太郎 |
(厚生省) |
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監 事 |
三田 弘 |
(埼玉) |
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児玉 桂三 |
(学会) |
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小林 六造 |
(学会) |
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議 長 |
渡辺 信吾 |
(福岡) |
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木下 良順 |
(学会) |
日本医学会々長 |
田宮 猛雄 |
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