この様に、地方医師会が着々と法的整備を遂げてゆく中で、その上部機構である大日本医師会も法定化を急ぐべきであるとの意見が高まって、大正10年11月、大日本医師会第6次定時総会に於て「本会を法定医師会となすことを内務大臣に建議する件」を提案、可決した。 これを受けた内務大臣水野練太郎は、「道府県医師会は日本医師会を設立すべし」という医師法改正案を中央衛生会に諮問した。中央衛生会は同意を与えたが、法案提出に当たり内務省と内閣法政局との間に法解釈の相違が生じ、第45回帝国議会に提出の法案は、「道府県医師会は日本医師会を設立することを得」という任意設立のものに修正された。
同時に「医師会令」も改正され、
「日本医師会は、五道府県以上の医師会長が設立委員になって会則案を作成し、道府県医師会の3分の2以上の同意を得た上で設立総会を開き、その議決を経て設立することが出来る」(第32条)
「日本医師会の総会は、道府県医師会がその会員である都市区医師会の会員中より選んだ日本医師会議員を以て組織する」(第34条)
等が規定された。
この規定に従い日本医師会設立の手続きを行い、大正12年11月25日、東京丸の内生命保険協会に於て日本医師会創立総会が開催され、ここに法定の「日本医師会」が誕生した。会長・北里柴三郎、副会長・行徳健男(熊本)、山本次郎平(兵庫)、理事・松本需一郎(大阪府医議長・東区)他10名で、役員14名の中、9名が東大卒であった。
斯くして明治維新以来50年、官と民が力を合わせて築き上げてきた努力が実って、近代日本の医療態勢の礎(いしずえ)が固まったのである。
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